2007年12月14日金曜日

人間の認識

人間の認識とは、不思議なものだ。

できない、あるいは、できるなどと思いもよらないことが
いったん『できるんだ』と認識されると
ごくごく当たり前のものとなる。

例えば、だれも思いつかなかった方法で
お金がもうかる(ITのGoogleなど)とわかると
あとから追従する人が増える。

最初に考えた人の着眼点はすごいが
追従する人にそれほどの創造性はないだろう。
つまり、できるんだという認識さえできれば、多くのひとは
追従可能なのだ。認識の敷居が低くなるから。

これは、人間の認識の柔軟性を示しているといえる。

しかし、物事は正負両面がある。

負のほうに働くと恐ろしい。

包丁を人を殺す道具に使うことができると気づいてしまう。
親を殺せると気づいてしまう。
無関係な人を無差別に殺せると気づいてしまう。

そんな契機を与える報道とは、そういった側面で恐ろしい。

認識・現象の連鎖の構造は
情報のネットワーク拡大によって生じるのかなとおもったり。

2007年12月11日火曜日

またもや指導教官変更???!!!

現在、所属している研究室は
仮のもの。

というのも、指導していただいていた(いる)先生は
東京の某大学へ異動したからだ。

そして、今の研究室に所属させていただいているのだが
物事、繰り返し起こることがあるのだなぁ。

また、この先生も某大学へ異動。

考えてみると
私がつく先生、全てどっかに行く気がする。

学部2年のとき、3年から研究室配属になるので
希望した先生が、3年のときから異動することが判明。

仕方なく、第2希望の先生についたら
その先生も、4年の頭から異動。

大学院で、マスターから博士に進学して
1年たって、指導教官が異動。

変更した指導教官が、また異動。

う~ん。

人事の流動が他の文系領域より
多いのは確かなんだけど
ここまであたりが悪いとねぇ。

考え方によっては、優秀な先生の下についていると
思えなくはない。

でも、一方で、去られるわけだから
現状の大学院が心配でもある。

特に、同じ大学院で2人の引き抜きにあったのだから
(同じ某大学某研究科)
この先の研究科が心配。

業績ポイントゲッターを失って
今後うちの研究科がジリ貧になるのは見えている。

統廃合も現実味を帯びてきたなぁ。