2008年3月9日日曜日

議論の後の議論。

先ほどの英語で議論の会の続き。

その回のトピックは
18歳を成人としてよいのか?というものだった。

この回の後、一部の希望者は
喫茶店に。もう一個Mixi上でやってるサークルがあったので
それに参加する予定だったが、
時間があまってるので興味本位に参加してみる。

あんまり乗り気ではなかったのだけど
はやりみんな議論した後だけに
先ほどのテーマを日本語で話し始める。

ちなみに、僕は英語の議論の場では、『18歳に下げてももんだいない』という立場でした。
根拠としては、ライフイベントを与えることで人間の成熟は促進されるだろう
(責任感なども、持つようになるだろう)というもの。

(これは、あくまでも議論上の立場で、僕の結論ではないです。
結論をだすには、もっともっと考えないといけないのはいうまでもないです。)

多くの人の論点は、18歳では早い
なぜなら20歳でも未熟なのに(例えば成人式での横暴な態度)。
というもの。


まあ、相手方の言うことも納得できたし
それほど考える時間・材料としての知識もなかったので
(また、初めての参加でいろいろといっていい空気ではないと察知していたので)
あまり、反対意見は言わなかったのです。


今は、場面も変わってコーヒー飲みながらの
フランクな場だから、ちょっと意見をいってみる気になった。

英語の議論の場では、成熟するのが20歳でも早いというものだった。
それを崩すアイデアはなくもなかった。

1.脳(主に前頭葉-人格形成と大きく関与する。高次の判断を司る)の成熟は
20歳より大分あと(うろ覚えだが、30?25?)

2.人間の心理的側面は社会的イベントで大きく影響を受ける可能性
(昔の元服、他の宗教で早期に大人として認められる。ユダヤ教?など)
退職・入学・結婚 挙げるときりがない。
(つまり役割を与えることで責任感が生じたり成熟を促したりできる可能性がある)

これらのことから、20歳を成熟した成人であるとする必然的理由がないことを指摘しようとして
『何も20歳である必然性はない。むしろ脳の発達から考えるなら、成人のラインを引き上げる議論が
あってもおかしくはない』といったことを発言すると

リーダーだった人がすごい剣幕で反対してきた。
先の議論では、引き下げるか否かが論点であった。
それは議論にならない。

また、成熟を待つ必要はない。

と怒られてしまった。

もう議論が終わったのだから、フランクに意見交換できるのかと思ったのに
まだ、先の議論の論点をずれて発言できないのか?とショックをうける。

また、僕の論点をわかってもらえなかったことにショックをうける。
つまり、現状の20歳ですら、脳の前頭葉の成熟という観点からいうと
成熟していないのだから、成人を20歳とする根拠自体がない。

よって、18歳であろうが、20歳であろうが
未熟だからその年では成人と認めるのは早い
という主張はできないという点を主張したかったのだがわかってもらえなかった。

ちょっと残念だったなぁ。
というか、自分の表現力がたらなかったからだろうか?

それとも議長さんの頭が固かったのか?

あるいは僕のロジックが主張するに足りるものではなかったのか?

う~ん。いずれにしても
議論のチャンスが与えられない(少なくとも僕には)ことが
わかった以上、この会には参加しても意味がない。

他にいいアウトプットの場はないかなぁ。

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